『償いの雪が降る』&パスカルの賭け

期待していなかった 

でも、この本、良かった~、すごかった

主人公の大学の授業課題で 身近な年長者の伝記を書くことになり、訪れた介護施設で、末期がん患者を紹介される。彼は 30数年前に少女暴行殺人で有罪となった男で、仮釈放され施設で最後の時を過ごしていた男だ…

主人公の抱える問題 男の抱える心の闇、ベトナム戦争の想像を絶する経験、そして過去の事件の真相…

この本がデビュー作とか…が、一気に読ませる面白さに脱帽!だ

意外性もあるし 結末も 暗くならずにすむところは わたし的にはなおいい

 

それにしても あのベトナム戦争といい 今も 他国で人殺しに加担させられている米軍の多くの人たち、彼らは 自分の生き方にどう折り合いをつけているのだろう

今 ベトナムの人たちが (今 韓国の人たちが日本に対して補償を求める訴えを起こしているように) アメリカに対して あの時の補償を云々を言えないのは 何故なんだろう

原爆で多くの人が亡くなったのに 

米国に対して 批難出来ないのは?

理不尽だなぁ…戦争とは 

本とは違うことをふと考えていた

 

無実の罪でも抗弁せずに もういつ死んでもいいと投げやりな気持ちでいた男が 『生きたい』と思ったきっかけは

パスカルの賭け~Wikipediaより引用

パスカルは、神の本質は「限りなく不可知である」として、神の実在/非実在は人間の理性では証明不能だという前提を出発点とした。理性がその問題に答えられなくとも、人は憶測や盲信で「賭け」をすることになる。実際には我々は既に(信仰の)選択を行って生活しており、パスカルの観点から言えばこの点に関しての不可知論はあり得ない。

我々は「理性」と「幸福」という2つのことだけを秤にかける。パスカルは、神の存在についての問題は理性では解けないため、コイントスのような「損失と利益の等しいリスク」があると見なした。そういうわけで我々は、神の存在を信じたときの損失と利益を考慮して、自らの幸福にしたがって判断しなければならない。パスカルは「得るときは全てを得、失うときは何も失わない」として神が存在する方に賭けるという判断が賢いと主張した。すなわち、神が存在するなら永遠の命が約束され、存在しない場合でも死に際して信仰を持たない場合より悪くなることは何もない

来世がないということは この世こそがわれわれの天国だということになるんだ

われわれは日々、人生の驚異に囲まれているわけだよ。理解を超える驚異なのに、われわれはそれを当たり前だと思っているんだ。その日、わたしはこの人生を生きることに決めた。

ただ存在するだけじゃなく、生きることに。もし死んで向こう側に天国があったなら、それはそれで結構なことじゃないか。

だがもし、天国にいるつもりでこの人生を生きず、死後になにもなかったら…わたしは人生を無駄にしたことになる。

全歴史における自分が唯一生きるチャンスを無駄にしたことになるわけだよ

長い引用になったが ここのところが 印象に残ったのだ

だって その前に 芥川龍之介の本を読んだばかりなので

 

古希を過ぎてなお この世には いっぱい考えさせられることに満ちている、な

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枯れても なお…この世を生きるんだ!