Sちゃんのこと~もう26歳の彼女、想像できないけど

1989

この写真、1989年8月広島帰省時のです

もう 28年前

この日 初めて 原爆ドームや資料館をを見た

今でも 記憶に残る体験である

きのうは 原爆が落とされて72年…現日本国憲法のおかげで 平和に過ごしてきたが 72年目に その先行きに暗雲が…

 

写っているのは Mちゃん

この頃の乳児院は 今では考えられないくらい、いろんな規則もゆるい時代

入所児に 『家庭の暮らし』の体験に 重きを置いていた時代

8月の帰省に 我が子3人+施設の子どもを連れ帰っても 

義父母は いつも温かく迎えてくれました

 

連れ帰った子供は 大ちゃんから数えると…5人!

 

大ちゃん以外は 冷房も無い軽自動車で 

5時間もかかる高速を 事故も無く よくぞ通ったものだと、

今更ですが ぞっとします

彼が事故にあってから なおさらに… 

(娘らは 父の運転技術は 下手なほうに入ると 今頃になっても けなされています)

1988  こんな感じでしたね(数少ない写真から)

建て替え前の 大舎制の施設は 0歳児と2歳児までの2部屋のみ

病院勤務から転職した当時は 初めてのことばかり 

戸惑うことばかりでした

何しろ 2つの部屋には 当時は目の上の瘤のような 2人の保母さんが仕切っていましたね

(そう、あの時はいろいろ嫌味たっぷりに言われることが多かったので、いまだに根に持っています、なんてね)

だから、今も友人で居てくれるMさんの存在が どれだけありがたかったか、

これは ほんとうに 心から感謝しておりまする

 

今までも 何度も この時代のことを書きたかったけれど 

我がつれあいが この3月まで 細~いながらも繋がっていたので 書きづらかったのです

が、最近聞いたところによると、わたしが辞める遠因になった あの理事長も6月で退任されたそう!

やったぁ~、なら 書いてもみようかな、なんて思っていたところに 

元職場から 彼ではなく わたしに、電話があったのはつい先日のことです

 

電話口から これまた苦手なお方の声がビンビンと…と、

嫌々電話をとっていたわたしですが 

話を聞いているうちに 不覚にもウルウルときてしまいました

 

看護婦は受け持ちは持たず、乳児院全体の子どもの健康管理が主な仕事だったのですが 就職時には1人だったNsも増え、わたしも受け持ちが欲しいよ!とのわがままも言える図太さもできつつあった折 全くの(いわゆる捨て子)遺棄児が入所したのです

遺棄されていた場所の町長がつけたという名前、Sちゃんだけの戸籍を持って…

初めてで、最後となった受け持ちのSちゃん

我が子のように育児日記も書き 季節の衣服や 誕生日の買い物やら 時間があれば 自宅にも連れ帰り もう養女にしたいくらいに わが娘たちにも慣れたのですが 2歳を前に 里親に引き取られる話がトントンと進み 複雑な思いで 新しい人生にむかうSちゃんを見送ったのです

その後、私の方には 母の介護と死

Sちゃんのその後は それまでできなかった里親に 実子が生まれたという話が聞こえて来て、じゃ、どうなるのかと案じても どうすることもできないまま いつしか 記憶の奥深くに埋もれたままでした

 

そのSちゃんが 乳児院へ 挨拶に来たという電話でした

当時を知る人は もう電話の向こうの院長ひとり

ぜひ わたしにも会ってほしいという電話だったのです

 

いきなり、そういわれても…

 

生母ではないし

あくまでも 仕事として(私一人がお世話したわけじゃないし)

 

会いたいけれど

会えるわけがない(どんだけ 偏屈なん?…自分でもそう思うけれど)

 

Sちゃんは なんと わが子にも叶えられなかった同志としてのNsになり

自立していると聞いて またウルウル

 

自分なりに考えて 昔我が家で写した写真と一緒に お手紙を出すにとどめた

 

彼女の人生、想像できないくらい いろいろあったそうだ

里親に実子2人でき、里親の祖母宅に預けられ 

成人した時 わたしの書いた育児日記とともに 出自を初めて知らされたそうな それまで???の中で成長したのだと聞いた

なんということ!

そんなこと聞いたら なおさら 会えませんって…

 

でも いつの日か そっと病院へ行ってみたい

大きくなった姿 そっとね、見て見たい

 

Sちゃんには もう 過去は過去、明るく生きて行ってほしいなと願うのみだ 1984 働き始めて 初めて愛着という言葉を意識した Iちゃん(覚えてる?)

昔あれこれpart3 102 散歩の途中我が家で休憩

2002年作品 045 4月14日小鳩 建て替え後の乳児院

私の人生の大半を占める職場の思い出、整理できないくらい ブクブク意識の上にのぼってきているぞ~

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かなりのご無沙汰でした

書く気になれなくて 鬱々していました

今 書く気になれたのは っくき、つれあいの態度に腹立っているから?かな

朝食時 いつものような 会話を…のはずなのに

まるで知らん顔していて 返事も無し

聞こえていないのかと 目の前で手を振っているのに 虫、じゃない無視された

 

どう思います?

でね、こっちがあれこれ言っても反応しなかったのに

ずいぶん経ってから 『この障害のせいで、すぐには返事が出来ないんだ』ときた

 

それを言われちゃ、返す言葉がないでしょ

ということで だんまり作戦に出た

・・・・・

ICOCAと図書カードを 黙って出して置き サッサと買い物に出た

戻った時 つれあいは 昨日の約束を忘れていなくて 図書館へ行ってくれたようで居なかった

 

台風の影響か、今日はむっとする暑さ

急いで 冷房を入れた

(前 わたしが行った時 帰った時にはな~んにもしてくれてなかったことで喧嘩したんだっけ、とまた腹立ってくる)

 

買ってきたものの下ごしらえが済み PCを立ち上げたところに 当人が帰ってきた

ま、しゃあない

「暑かったやろ?」で 今回はおわりにしとこっと

*****

実は

長女の夫婦ケンカが原因…かな

(ここしばらくなかったので いつ来るかと思っていた恐怖の電話があったのは7月22日)

娘は 自分では感情的になりすぎて話せないからと わたしに婿殿と電話させようとする

そういうのって 第3者的には 婿の立場になると とっても嫌なことだと思う

実況中継なんて、ねぇ…

でも わたしは 今までもこれからも 娘を守りたい、母である

泣いている娘はこれから車で 孫を部活に送らなきゃならないと言う

これはやばいでしょ

いまだに 娘の車の運転技術を危惧するわたし

娘には こんな仕事中(自営業)に 電話なんてできない、と言ったものの

だんだん心配になり 電話して 婿殿に 車を運転させても大丈夫かと聞いた

彼らは もう16年も連れ添っている夫婦

喧嘩ばかりして 離婚しろ!とけしかけても こども3人も作って まだもっている

こんな電話を何回受けたことだろう

もう、いい加減にしてほしいと、つい本音が出た

そう、本音

本音は 出たら もう止まらない

あちらも 堂々反論(言い訳?)してくるし 娘の母としては 感情的になってきているのが 分かる、分かるんだけれど もうダメ~ってな感じで

『○○ちゃん、あなたは悪い人だとは思わないけれど、嫌いやわ!』

と ついに 言っちゃった~~~~

そばでウロウロしていた つれあいが 慌てて電話をとって それからえんえん話し始めた

男同士、分かる、分かるってね…勝手に 話していたらいいでしょ!ヽ(`Д´)ノプンプン

 

でもねぇ

言ってしまった言葉を引っ込めることはできないしね

後から後から くよくよ…いじいじ…

当人たちは あのあと また仲直り?とまではいかないものの 日常に戻れたみたいだ

25日に 3女の帰省に合わせて 我が家に集まった時 長女は この先 旦那の介護は御免被りたいと、妹たちに言っていたと聞いた

そんなこんなで ちっとも冷静に話せない自分に自己嫌悪やらで 凹んでいたのだけど

今朝の つれあいの態度に かち~んときて また悪口いう力が湧いてきたみたいだ

へんなの、いい歳して…

長女のところは 今大きな仕事の納期で 婿殿も気が立っているようだ

三女は 転職、転居と 今大きな節目

次女のところは 夫婦共々介護の職場で ドロドロの人間関係があるようなのだが それでも いまのところ 人生を楽しんでいる、みたいだ

20170801a (5) 先日行った沖縄の写真を送ってくれた

こっちは台風の行方をハラハラしていたのだけど

孫たちも 帰りたくな~いと きれいな海を満喫したようだ20170801a (12)20170801a (9)

人生は 一度きり

どうあがいても 一度きり

だったら 怒らないで生きて行きたい、のに これがなかなかなのも 人生なのか…

あぁ、久々に愚痴ったぞぉ~~

昨日 セミの鳴き声を聞いた、梅雨明けだそうだ

そして 今朝は ベランダに出ると もう姦しいセミの鳴き声がする

今週末には 三女が帰省する

ということは 平々凡々の毎日が かき乱されるということだ

 

嵐の前の静けさ・・・セミが鳴いていても・・・

*****

孫に殺され

妻や子に殺され

見知らぬ人に殺され

天寿を全うされたと 多くの人びとから惜しまれ

認知症の妻を残して逝く

・・・・・・

ポストを覗いたら akasyoubinさんとして ブログでしかお話したことがない方の奥様からの手紙が届いた

先立たれて 今なお 悲しみの波に飲み込まれそうになりながらも

前を向こうと ご自分を奮い立たせているようなお手紙に

なんてお返事する?と わが身に問う

 

倉本聡さんのドラマ(つれあいは辛気臭いと、見ていない)『やすらぎの郷』に命を限られた妻を看取る夫が 主人公に言う(その通りではないけど)

前はね、先に逝きたいと思っていた…でもね、あとに残されるのは辛い、だから「強いもの」(自分)が残ると分かって ホッとも しているよ

ドラマでは 通夜のあと夫も後を追うように亡くなる、そんなドラマみたいな?スジなんだけどね

『強い人』なんて、居るのかな?

当事者でしか分からぬ悲しみには 想像が及ばない気もする

 

あんまり考えていると 気が滅入ってくる

 

201107 (1)  6月 (3) 6月 201107 (2) 青春18切符で行くローカル線の旅 静枝編 (263) 7月

20130611 (99) 20130611 (107)

20130803 20130705 (1)~撮りためた写真から

こんな花の咲いている所へ

ふらふらと行きたいな

暑いと やる気(なんの?すべて!)おこりません…

このシャコバサボテン、我が家に来てもう15年?

2003年6月に こんな画2003.6シャコバサボテン描いているもんね

ちゃんとした世話をしていないのに 相性が良かったのか 枯れないけど

花のつきも 年ごとに バラバラ、葉もてんでに好き勝手に伸びるので 

思い立った時に チョンチョンと切る

20170710散髪した ごめんね~と言いながら

今年 拗ねて 花を咲かせてくれないかもね

 

暑いけれど 運動せねばと 散歩に出る

いつもの道…

CIMG4481あれ~、いつもオレンジのバラをはじめ 梅やモクレンの咲いていたお家が取り壊されている(寂しいなぁ…)

その隣も、前も 

世代交代なのか 古い家屋から今風の家へと 

この路地は この数年で 建物の変化著しい

取り壊さなきゃいけないくらいの家?なのか…な

ダブルパンチ生還11年目記念旅~平湯・新穂高・上高地②

合掌作りの古民家を移築、利用した「ひらゆの森」のこの宿は 増改築で建物が広い敷地に露天風呂を囲むようにして建っている

泊まった部屋は その奥まったところ、階段が2か所も(これは つれあいに予想外だったけど)

窓は 高い位置にある

その窓から お月さまが見えた

CIMG4346 よし!明日は 晴れるね

その夜のうちに精算を済ませ早朝出る場所を確認

6時半のバスで 上高地へ

安房峠のおかげで 上高地へ25分で行けるなんて…夢みたい

明日は 上高地に行くよ、と言った時のつれあいの笑顔、行きたかったんだ、やっぱりね

 

先日の大雨で 大正池からの散策路は通行禁止になっていた

確かに バスの中から見えた大正池の様子は 水量が多く 白濁していて いつもとは違う

CIMG4420

CIMG4353 まだ観光バスは来ていないが ここも昼までには大型バスがいっぱいになる

CIMG4375 CIMG4376

CIMG4373

ここ小梨平キャンプ場で 夏の間スケッチをしているというTVで紹介されたお方(赤い服)のテントもパチリR0016131 ちょっとあこがれるな~

 

来た時は 肌寒く、ウインドブレーカーを着込んだが 陽が上がるにつれ 白い綿毛が 青い空をバックにふわふわ舞い始めるR0016178

R0016179 見えますか?

CIMG4395 それが ふきだまりに…ふわふわです

ドロヤナギとかケショウヤナギの種子だそうな

柳の白い綿毛のついた種が風に吹かれて乱れ散る様子をりゅうじょ(柳絮というそうですよ

今回は 河童橋を起点に近くの散策を楽しむ

 

上高地は 何度来ても 期待を裏切られることはありません

あるとしたら ツアーで来て さぁ~っと帰って行く団体の多さにかな

 

人が続々バスから降りてくる中 10時発のバスで帰路につきました

 

明日10日で あれから11年

こうして 好きなところへ出かけられることに 感謝する毎日です

ダブルパンチ生還11年目記念旅~平湯・新穂高・上高地①

7月5日(火) 台風に追いかけられるように ちょっと不安な気持ちでしゅっぱ~つ!

特急ひだの車窓から 何?オッ、川霧だね

CIMG4185 幻想的だ

今日の宿泊地は 高山駅からバスで約1時間の平湯~奥飛騨温泉郷の中心地平湯にある

下呂を通過する頃から ついに雨…

平湯に降り立った時は 土砂降りに…トホホの気持ちで100均のカッパを着て宿へほんの数分歩く間にずぶぬれになった

今回は素泊まり(旅行が続いているからちょっと節約)

CIMG4234

飛騨と言えば 棒葉みそ!飛騨牛乗せ棒葉みそ定食(1300円) 宿の豪華な食事も良いけれど、胃の無いつれあいには このくらいでOKだ

 

前々日までキャンセル料がかからないので 行くかどうか ほんとうに迷ったけれど

この土砂降り…

上高地を見せたくて 義母を連れてきた時と全く同じだ…とやや凹む

ちなみに その時泊まった老舗の宿は 廃業していた

 

夫は すぐ 温泉へ

土砂降りの中、平衡障害もものともせず 露天風呂巡りもしていたらしい

さぁ、寝ましょ、という時になって 浴衣はトイレとかしにくいので 持参の甚平に着替えたら

なんということ!結構毛だらけスネ傷だらけ、ではありませんか! 

本人に証拠写真を撮ってもらったのにボケているので こちらを見てくだされ 

本人の説明によると こちらの露天風呂には ほとんど手すりが無く 大きな石で組まれていて、またその石が表面がザラザラ

平衡障害があるので 転倒予防のため 慎重に立ち上がったり 浴槽から出ようとすると 四肢を使わざるを得ない

例えていうと

  こんな感じ、かな

それは分かったけれど 問題は わたしにそのことを隠していたことだ

別府で風呂で転倒してケガした後、シーツを血だらけにした前科もちなのに…

 

そこまでして 温泉に入りたいの?

「うん」

 

ま、ここも 白猿によって教えられたという開湯伝説が残るくらいだから 擦り傷も治るでしょうけどね…

 

翌日 雨は止んだ(台風が思いのほか 早く通過)

前に平湯キャンプ場に 子どもたちと2回キャンプしたことがある

その時にも行った 平湯大滝へ 歩いて行くことにした

7時出発 歩くと結構遠かった

坂道をえんえんと登った先にあった

バスセンターに戻った時は 8時40分 新穂高ロープウェイへ行くバスがちょうど出ていく所だった

1時間後のバスまで の~んびり

 

この日は 第2ロープウェイは点検中、雄大な山容は拝め無いと分かっていたので
第一ロープウェイを降りて 鍋平高原を歩く予定

 

だが 歩き出してすぐ 「6月21日ここで熊の出没」の看板を見た

熊、こわい!

歩くことを断念…

新穂高ビジターセンター山楽館に併設されている露天風呂「神宝乃湯」に入浴

湯の花がたくさんのいい湯だ でも 600円はちょっと高いような…ま、維持費もあるしね

 

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 一日花の ニッコウキスゲが枯れたまま残っていたよ

シーズン前だからか 以前来た時よりも 観光客は少なかった

 

宿へ戻ると つれあいはまた温泉へ

鉄砲玉のつれあいが居ぬ間に わたしは 翌日の行程の再検討

スマホはなくとも Wifi環境でタブレットが使えるということを知ってから 旅も ちょっぴり変化、臨機応変に予定変更

それが吉と出るか凶と出るか、いつもドキドキ…どっちにしてもつれあいは 喜ぶから良いのだけどね

最終日、上高地はつづく

今年の 暑中見舞い一番乗り

朝から 大きなもの洗濯を干しながらも

比叡山にかかる あやしげな黒雲に ハラハラ

もう来るかな?と取り込んで正解

大きな雷鳴と 前も見えないくらいの雨が!

 

ムシムシ暑いです

ベランダの室外機のカバーを外しました

この暑がりのわたしが まだ冷房入れていないとは…歳なんですかねぇ

 

でも 限界です、が

この雨で まだ頑張れるかも

昨日 ポストを見たら 暑中見舞いのかもめ~る

孫⑥からでした

園からもらった葉書は おじいちゃんとおばあちゃんに書く、といい

5歳にしてはチビ助の彼でも やっとポストの入れ口に手が届いたそう

きっと その時 彼は 誇らしげに 笑顔だったろうと 想像して読みました

こんなかわいいおばあちゃんに描いてくれて ありがとさん

2017年観照からの暑中見舞い さて、お返事を書かねばならないね

では ・・・ どんなの送ろうかなぁ